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「国指定史跡であり、日本100名城にも選定!」 八代市
八代城跡公園(国指定史跡)
元和元年(1615年)、肥後国、「一国一城令」が出され熊本城と麦島城の一国二城体制が特別に認められていましたが、元和5年(1619)の大地震によって麦島城が崩壊したため、熊本藩主の加藤忠広が幕府の許可を得て、城代の加藤正方に命じ、徳渕の津北側に城を再建し、竣工されました。これが、現在の八代城です。
加藤氏が改易されると、豊前小倉藩主の細川忠利が熊本藩主となり入城、忠興死後は細川家の家老松井氏が225年間城主として八代城を治め、八代の発展に尽くしました。建物は寛文12年(1672年)の落雷や寛政9年(1797年)の火災により焼失し、明治3年(1870年)に廃城。それから再建されることはありませんでしたが本丸の石垣と内堀が残り、本丸跡に懐良親王をまつる八代宮が鎮座しています。
八代市の中心的な歴史公園として親しまれ、2014年「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として、古麓城跡・麦島城跡と併せて国の史跡に指定され、2017年には、続日本100名城にも選定されています!
開放時間 | 開放 |
料金 | 無料 |
住所 | 熊本県八代市松江城町7-34 |
駐車場 | 20台(小型 30台) |
お問合せ先 | 0965-33-4533 八代市文化振興課 |
HP | HPを開く |
写真提供 | 八代市教育委員会 |
地図情報
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よかとこスタッフの体験レポート
八代市の中心的な歴史公園として親しみある名城!
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元和(げんな)元年(1615年)、肥後国(ひごのくに)、「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」が出され熊本城と麦島城(むぎしまじょう)の一国二城体制が特別に認められていましたが、元和5年(1619)の大地震によって麦島城が崩壊(ほうかい)したため、熊本藩主の加藤忠広(かとうただひろ)が幕府(ばくふ)の許可(きょか)を得(え)て、城代(じょうだい)の加藤正方に命(めい)じ、徳渕(とくぶち)の津(つ)北側に城を再建(さいけん)し、竣工(しゅんこう)されました。これが、現在の八代城です。
加藤氏が改易(かいえき)されると、豊前(ぶぜん)小倉藩主の細川忠利(ほそかわただとし)が熊本藩主となり入城(にゅうじょう)、その後は細川家の家老松井氏が225年間城主として八代城を治(おさ)め、八代の発展に尽(つ)くしました。建物は寛文(かんぶん)12年(1672年)の落雷(らくらい)や寛政(かんせい)9年(1797年)の火災により焼失(しょうしつ)し、明治3年(1870年)に廃城(はいじょう)。それから再建されることはありませんでしたが本丸の石垣(いしがき)と内堀が残り、本丸跡に懐良親王(かねながしんのう)をまつる八代宮が鎮座(ちんざ)しています。 八代市の中心的な歴史公園として親(した)しまれ、2014年「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として、古麓城跡(ふるふもとじょうあと)・麦島城跡と併(あわ)せて国の史跡(しせき)に指定され、2017年には、続日本100名城にも選定されています!

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